神と仏

STANCE

スタンス

神と仏

うちの会社には神棚がある。
私で三代目になるのだが、初代が特に大切にしていた神様である。

初代も二代目も、毎朝お供えをし、柏手を打っていた。
だから私は、当然のように神道の神様だと思っていた。
社長という立場を引き継いだ際、改めて祈祷をお願いすることになった。

その時、私は少し面食らった。
「あれ?神社じゃないの?」
そう思ったのである。

祀られていたのは、豊川稲荷の荼枳尼眞天(だきにしんてん)。
仏教の天部であった。

さらに神棚には、氏神様や崇敬神社のお札も祀られている。
神道と仏教が同じ場所にあったのである。

もちろん、神道と仏教が異なるものであることは知っていた。
死に対する考え方も違えば、作法も違う。
だからこそ、分けて祀るべきだという考え方が一般的であることにも頷けた。

ところが、さらに調べていくと興味深いことを知った。
もともとの日本は、今のような姿ではなかったのである。

自然信仰や祖霊信仰を基盤とした神道。
そこへ仏教が伝わった。

その過程は決して平坦なものではなかった。

対立もあった。
争いもあった。

それでも日本人は神道を捨てなかった。
同時に、仏教も拒まなかった。

そして二つを並べて置くのではなく、自分たちなりの形へと育てていった。

神仏習合という言葉は知っていた。

だが、それを深く考えたことはなかった。
ましてや、自分の会社の神棚が、その姿を今も残しているとは思ってもみなかった。

そのことに気付いた時、
私は妙に腑に落ちた。

だから私は今も毎朝手を合わせている。

神道と仏教を同じ場所で拝む作法など、少なくとも私は見つけることができなかった。

だから自分なりのやり方で祈っている。
正しいかどうかは分からない。

ただ、心を込めて手を合わせている。
何かをお願いすることはほとんどない。
商売繁盛も、家内安全も、あまり口にはしない。

ただ、その場に立つ。
すると不思議と、ありがたいという気持ちが湧いてくる。

自分がここにいること。
会社が続いていること。
多くの人に支えられていること。

そんなことを静かに思い出す。

昔の日本人もまた、
こんな気持ちで手を合わせていたのかもしれない。