スタンス
グレーは責任の色
その日、
私はあることに白黒をつける覚悟でいた。
普段は朝一番にFacebookを見ることなどほとんどない。
だが、
なぜかその日に限って開いた。
そして最初に目に飛び込んできたのが、
「走る哲学者」と呼ばれる為末大さんの投稿だった。
為末さんは、
『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』
という本を紹介していた。
太平洋戦争開戦直後、
多くの人が「スカッとした」と語ったという話である。
人は、
どっちつかずの状態に強いストレスを感じる。
だから時に、
良い結果か悪い結果かではなく、
決着がつくことそのものを望んでしまう。
人生はもちろん、
経営にも政治にも、
似たような場面があるように思う。
答えが出ない。
結論が見えない。
先が読めない。
そんな状態が続くと、
私たちは時に、
何が正しいかよりも、
早く決着がつくことを求めてしまう。
そんな内容だった。
偶然だったのかもしれない。
ただ、
その時の私には妙に引っかかる言葉だった。
私はこれまで、
世の中はそんなに単純ではないと思ってきた。
白か黒か。
善か悪か。
そんなふうに割り切れないことの方が多い。
だから、
何でも白黒つけようとする考え方には、
どこか違和感を持っていた。
しかし、
今回気づいたことがある。
グレーの大切さを理解していることと、
実際にグレーの中に留まることは、
まったく別の話だった。
私自身、
グレーの大切さは理解しているつもりだった。
だがその朝は、
白黒をつけることが覚悟だと思っていた。
だが、
その渦中にいると話は別だった。
私は、
分かっているつもりだったのかもしれない。
グレーというと、
曖昧。
優柔不断。
逃げ。
そんなイメージがある。
だが、
今は少し違うように思う。
立つか。
座るか。
どちらも決まれば楽になる。
だが、
グレーは違う。
中腰で踏ん張り続ける状態である。
それでも、
人生には、
すぐに答えを出せないことがある。
いや、
答えを出さない方が良いことさえある。
グレーとは、
曖昧さではなく、
その状態を引き受けることなのかもしれない。
だからこそ、
グレーとは曖昧さの色ではなく、
責任の色なのかもしれない。
私はまだ、
グレーを生きてはいなかったのだと思う。